シリア内戦に繋がるシリアの政治的現代史 Vol.2

こんな人に読んで欲しい

  • シリア内戦って?という人
  • 中東の複雑な政治に興味はあるが…難しい!という人
  • アサド政権ってよく聞くけど何?という人

 

民族蜂起や内戦、難民などでよく耳にするシリア・アラブ共和国(”シリア”の正式名称です)。そこで現在も少しずつ形は変えつつも収束していないシリア内戦。

内戦の中で反政府勢力の人々が抵抗している相手である政府勢力を指揮しているアサド政権も、この話題に触れる際によく耳にするかと思います。

もちろんシリアには長い歴史がありますが、今回はこの「アサド政権」台頭について、7つの期間に分けてピンポイントで説明します。

 

【第2期:2000年から2010年 バッシャール・アル=アサドが権力を掌握する】

ハーフィズ・アル=アサドは長男を後継者にしようと育てていましたが、1994年に交通事故で他界してしまいます。これにより、次男であるバッシャール・アル=アサドに後継者としての期待が寄せられることになりました。この当時バッシャールはシリア憲法に定められている年齢に到達していなかったのですが、シリア議会がこれを修正し、有権者の99.7%が彼を支持する形で行われた国民投票により、大統領に選出されました。

始めは「ダマスカスの春」という名で知られるように、若くて近代的、そして新たな政治体制を築く国家元首として政治を行っていました。この間に新自由主義的な経済改革が導入され、様々な物資が流入したことにより様々なビジネスチャンスが生まれました。また、成熟していない政府のもとでの商業の民営化や自由な経済体制は、様々な腐敗を生じさせ、縁故資本主義へと傾いていきました。その結果、圧倒的に多い資本を持っていたアサド大統領の親族たちに優位な社会が構築されたのです。富や権力に傾いて言った社会は、富裕層のみを重視するようになり、政府の対応不備によって労働者層の貧困状態が激しく悪化していきました。

このような貧困状態は、シリアの全人口の半数以上を占める24歳以下の若者たちに深刻な影響を与えており、彼らは政府に対して不満を募らせて行きました。その不満は2004年の路上で群衆の暴徒化により顕著に現れました。これにより政府軍が出動し、鎮圧までに多くの市民が殺害されることとなりました。

 

【第3期:2010年 シリア革命の始まり】

「アラブの春」として知られる運動に影響を受け、シリア国民は様々な方法で政府への抗議を表し始めました。アラブの春が発生した国の大使館の前でデモが行われたり、2011年3月15日にはシリア全土でインターネットを通じて示し合わせた小規模デモが行われました。治安部隊が壁に落書きをした子どもを逮捕した事件や、丸腰の市民を殺害した事件などにより、デモ参加者は徐々に増加して行きました。これらの事件の1週間後には、数万人がデモに参加する事態へと発展しました。これは恐怖政治に制圧されていたシリア国民が、その恐怖に打ち勝った歴史的なターニングポイントと言えます。

→第3部に続く

 

※今回の記事を作成するためにある1冊の本を参考にさせていただきました。今回は序章の部分を参考にさせていただきましたが、それ以外の部分は実際にシリア内戦を経験した数十人の方々の経験談や意見など、「生の声」が書いてあります。ここで感想を書くとまた長くなってしまうので、今回は割愛させていただきまが、気になった方は是非【参考文献】を見て、探してみてください!

 

【参考文献】
Wendy Pearlman “We crossed a bridge and it trembled ~Voices from Syria~” の日本語訳
安田菜津紀, 佐藤慧(訳) ウェンディ・パールマン著,『シリア 震える橋を渡ってー人々は語る』2019年8月23日(第1版) 岩波書店 ISBN: 978-4-00-061357-6


		

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