赤線協定が生んだ中東分割 4

こんな人に読んでほしい

  • 中東の政治に興味がある人
  • 歴史が好きな人
  • 石油について関心がある人

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赤線協定が生んだ中東分割 3

1914年、歴史が大きく動きます。

第一次世界大戦の幕開けです。

この戦争も、結局は石油の存在が戦いの行方を決定づけてしまいました。

 

国内に油田を持たないドイツの石油が枯渇する頃、連合国にアメリカが参戦し、石油の供給を開始します。

 

戦後、英国とフランスは旧オスマン帝国の分割に取り掛かりますが、アメリカの介入により議論が行き詰まります。ここで、再びガルベンキヤンが活躍します。当の本人はというと、自分の5%を死守するために必死でした。

 

そして、最終的な妥協案が成立します。

p67より抜粋

「彼は出席者全員の前に大きな中東の地図を広げた。そして、赤いクレヨンで一気に太い線を引いた。

自信満々の調子で彼はいった。

『これが1914年当時、私の知っていたオスマン帝国だ。私にはちゃんとわかっている。なぜなら私はここで生まれ、育ち、ここの政府で働いていたからだ。もし誰か他にもっと良く知っていると思う者があればお委せする』

こうして中東の石油開発史に最も大きな影響を与える”赤線協定”は成立した。(中略)アメリカの大資本を中東にひっぱり込んでしまったこと、そして、西側のペルシャ湾岸覇権へのフル・コミットメント(最初は英国、次はアメリカ)など歴史的インパクトにおいては当時の関係者たちでさえ想像もできないほどの重大事だった。もちろんアラブ人には一言の相談もなかった。アラブの将来はごくひと握りの外国人の手によって確実に決定づけられていったのである。」

 

落合信彦さん著 『石油戦争』はこちら

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