シリア内戦に繋がるシリアの政治的現代史 Vol.1

こんな人に読んでほしい!

  • シリア内戦って?という人
  • 中東の複雑な政治に興味はあるが…難しい!という人
  • アサド政権ってよく聞くけど何?という人

民族蜂起や内戦、難民などでよく耳にするシリア・アラブ共和国(”シリア”の正式名称です)。そこで現在も少しずつ形は変えつつも収束していないシリア内戦。

内戦の中で反政府勢力の人々が抵抗している相手である政府勢力を指揮しているアサド政権も、この話題に触れる際によく耳にするかと思います。

もちろんシリアには長い歴史がありますが、今回はこの「アサド政権」台頭について、7つの期間に分けてピンポイントで説明します。

 

【第1期:1970年から2000年 ハーフィズ・アル=アサドの権威主義的な統治】

ハーフィズ・アル=アサドの一つ前の政権では、産業や企業の国営化や土地の再分配を推進し、教育や医療などの福祉サービスの提供を行いました。しかし、富裕層やこの改革を推進したバアス党が嫌いな人々は不満を募らせていきました。また、バアス党内でのない分裂も激化していきました。

 

1970年11月、当時防衛大臣であったハーフィズ・アル=アサドは競争相手を追放し、無血クーデターによって権力を握ります。これによりシリアは単一政権となり、保安局や国内諜報機関などの複数機関が外国人や国民を厳しく監視し、厳しく罰を与える警察国家となりました。監視者の中には市民の密告者なども含まれており、学校やメディアは政府にコントロールされ、人々に発言して良いことと悪いことを教育しました。また、その権力を駆使して自分を支持するアラウィー派の人々とバアス党の党員には権力や経済的特権を与えました。上記のように、政権派には特権を与え、反政権派には厳しく罰を与えることによってその支持を無理矢理保ちました。

 

これに加え、1963年に既に制定されていた非常事態法により、表現の自由の制限や財産の没収などの人権を侵害する行為が正当化され、政治犯には法的手続きを受けることなく食事の与えられない不衛生な牢獄に入れられたり、拷問が行われることが正当化されました。結果的に市民は多くの制限の中で生活することを余儀なくされました。

 

上記のように人々に反抗させない政策を先回りして行う手法で行われた政権は、1970年代後半に例外を許してしまいます。レバノン内戦に介入していたアサド政権に対して、日頃からインフレ、汚職、政権からの暴力などに疲弊していた市民の不満は爆発することになりました。これにより、バアス党の支配に抗う活動を1920年代から行っていたムスリム同胞団が政権に対して武力攻撃を始めましたが、これと同時に政権は数万人の市民を無差別に殺害や投獄しました。

 

1982年にムスリム同胞団が反乱を起こしたときに、アサド大統領は何万人もの一般市民を残虐に殺害する軍事攻撃を行い、市民にトラウマを植えつけました。これにより市民はより一層政権に反抗することができなくなりました。

 

上記のように、徐々に…というわけでもないですが、アサド大統領はその権力や法律により市民を弾圧し、人権の制限を行いました。加えて、反抗すると何万人もの市民が無差別に殺されることから、政権に反抗させないような政策をおこなったのです。

 

次回はバッシャール・アル=アサドが権力の座につくところから話が進みます!

 

※今回の記事を作成するためにある1冊の本を参考にさせていただきました。今回は序章の部分を参考にさせていただきましたが、それ以外の部分は実際にシリア内戦を経験した数十人の方々の経験談や意見など、「生の声」が書いてあります。ここで感想を書くとまた長くなってしまうので、今回は割愛させていただきまが、気になった方は是非【参考文献】を見て、探してみてください!

 

【参考文献】

Wendy Pearlman “We crossed a bridge and it trembled ~Voices from Syria~” の日本語訳

安田菜津紀, 佐藤慧(訳) ウェンディ・パールマン著,『シリア 震える橋を渡ってー人々は語る』2019年8月23日(第1版) 岩波書店 ISBN: 978-4-00-061357-6

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