赤線協定が生んだ中東分割 2

こんな人に読んでほしい!

  • 中東分割に興味がある人
  • 歴史が好きな人
  • 石油について関心がある人

こんにちは!ななみです。今回は「赤線協定が生んだ中東分割 2」をお送りします。

「赤線協定が生んだ中東分割 1」はこちらから

赤線協定が生んだ中東分割 1

 

グルベンキヤンが若い頃、まだ彼が、バクーに大油田を持つアルメニア人の秘書として働いていた頃のことです。ヨーロッパの石油市場はバクーから賄われていて、小さな業者が市場を分けあっていました。しかし、アメリカのスタンダード・オイルが参入してきたことにより平和共存が崩れたのです。それを見たグルベンキヤンは「弱小業者が生存するには、互いに強力に結束を計るしかない」と考えるようになりました。

時を同じくして、彼はオランダのロイヤル・ダッチ社とイギリスのシェル社の合併を依頼されました。この2社は長年に渡るスタンダードとの価格競争で生き残ることができた唯一の会社です。ロイヤル・ダッチ社が今後を生き延びるためには、シェル社と合併するしかありません。しかし、シェル社はこのオファーを拒み続けます。と言うより、合併できない事情がありました。

この頃イギリス海軍では、石炭から石油へのエネルギーの転換が起きつつありました。海軍が全面的に石油化するとなれば、需要は膨大です。この市場を担えたなら、つまり、政府の御用商人となればイギリス帝国主義の威光をバックにスタンダードとて怖くはありません。そのために、100%英国の会社である必要がありました。

ここでシェル社の目論見を一蹴するのがウィストン・チャーチルです。石油化を最も強く主張した人物でもある彼が、「シェルを認めず」との判断を下しました。この背景には、ビジネスマン一般に対するチャールズの不信感と嫌悪感もあります。

ずっと待ち続けたグルベンキヤンの作戦は当たりました。体力も限界に近いシェルは、ロイヤル・ダッチとの合併に乗る他ありません。こうして、スタンダードに渡り合える唯一のヨーロッパ企業であるロイヤル・ダッチ・シェルは誕生し、ガルベンキヤンの初めての交渉は成功裏に終わります。いよいよグルベンキヤンの活躍の場が中東に移っていきます。

 

落合信彦さん著 『石油戦争』はこちら

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